2019年4月15(月)から4月21日(日)までの北朝鮮の動向 金正恩の軍事、対米非難の真意

2019年4月15(月)から4月21日(日)までの北朝鮮の労動党機関紙『労動新聞』、国営テレビ『朝鮮中央テレビ』などを通して分析した今週の北朝鮮の動向です。

1.金正恩、国家首班とならず

今週はまず、北朝鮮憲法が金正恩を対外的に北朝鮮を代表する「国家首班」とする内容には修正されなかったという点が注目されます。

4月11日に行われた最高人民会議で崔竜海常任委員長が国務委員会第1副委員長となり、先週、北朝鮮メディアが金正恩を「朝鮮人民の最高代表者」と新しい呼称で表現したのを見て私も北朝鮮憲法が修正されたと思いました。

しかし、今週、金正恩はプーチン、習近平、ベトナム主席に返信を送りましたが、ジンバブエとコンゴの大統領には崔竜海を前面に出して祝典や慰労の電文を送りました。このことから、まだ、憲法上、常任委員長が北朝鮮を代表していることが分かります。

おそらく海外に派遣される北朝鮮の全権大使の信任状も崔竜海の名前で出され、外国大使からの信任状も彼が受けとるでしょう。

しかし、北朝鮮の権力構造を修正するための憲法修正があることは間違いありません。

今まで国務委員会には党、内閣、軍、保安、保衛、外交分野の責任者が網羅されましたが、立法および主権機関責任者である最高人民会議常任委員長は入っていませんでした。

いくら首領の絶対権力体制だと言っても共和制国家で行政と立法を分離させる姿を見せることが必要なためです。

ところが、今回、崔竜海が国務委員会第1副委員長職になったということは国務委員会が立法機関である最高人民会議まで指導することに憲法が修正されなかったのか、再び疑問が頭をもたげます。

もし、このように憲法修正がされたなら、結局、形式的に維持されていた行政と立法が、互いに分離していた北朝鮮の政治構造も変わったことを意味します。

2.金正恩のホンネは?

金正恩がポストハノイ戦略実現の第1段階期間を今年上半期と決めて、この期間は対米、対南には強硬モードで、中国とロシアには近づいて「友軍確保」戦術に出るように見えます。 

現在、金正恩は「長期戦に備えた自力更正」を叫んでいますが、金正恩のポストハノイ戦略は変わらず米国と3回めの首脳会談を成功させて、核・ミサイルを維持しながらも一部制裁を解除させる「核固め」戦略です。

しかし、北朝鮮は現時点では米国や韓国との対話に易く応じればむしろ制裁解除に執着している戦略的意図がばれてしまうと思っていて、「長期戦で行く」という強硬な姿を見せようとしているのです。今週、金正恩が自身は軍事を、崔竜海とクォン・ジョングンを前面に立たせて(米国を)非難をさせたのもこうした脈絡から読み解くと理解できます。

また、金正恩は儀典担当の金チャンソン部長一行をウラジオストクに送り込み、首脳会談を急ぎ、中国海軍創立70周年行事には海軍司令官を派遣しました。

最近、平壌を訪問した外国人の証言によると、平壌市のあちらこちらで学生の集団体操の練習が始まっていて、一部住民の間では5月に習近平が北朝鮮を訪問するだろうという噂で持ちきりだったといいます。

最近、北朝鮮メディアが金正恩の施政演説の歴史的意義を解説する論説を続々と出しながら、対南分野では 4.27板門店宣言や9月の平壌宣言について言及していない点も注目されます。

金正恩の施政演説でも言及された「板門店宣言」と「9月の平壌共同宣言」という表現をも北朝鮮メディアがあまり使っていないことは、来週、板門店宣言採択 1周年の行事を南北が共同で記念する雰囲気ではないということを示唆しているのです。

もし、金正恩がプーチンに会って、核・ミサイル実験に対するモラトリアムを維持する条件付きで今年末まで追放危機におかれている数万人の北朝鮮労働者の滞留延長を引き出し、 5月中に習近平の北朝鮮訪問が成り立てば、6月前までは南北首脳会談は開かれにくくなるでしょう。

中国とロシアが金正恩に酸素呼吸器を付けてくれれば、金正恩の対米、対南強硬モードは今年末まで続くでしょうが、中国やロシアから十分な経済的支援を受けられなければ、今年下半期にはまたぞろ南北首脳会談寄りになるでしょう。

今、金正恩が軍事、非難を続けながらも、「トランプとの良い関係」を仄めかしていることは、まだ中国やロシアから経済支援の約束を取り付けることができていないためで、一応米国の交渉の扉は開いたままにしておかなければならないためです。

3.厳しさ増す北朝鮮

北朝鮮の内部事情が思っているより厳しいようです。

21日付『労動新聞』は、「偉大なる党に従い総進撃で前へ」というタイトルの正論を発表しましたが、そこで現在の北朝鮮の状況を史上もっとも大変だった1956年と比較しました。

もちろん、北朝鮮の歴史で6.25(朝鮮)戦争や90年代後半の「苦難の行軍」といった大変な時期がありました。しかし、北朝鮮の指導者として首領の地位が内部の派閥集団によって公けで挑戦を受けたのは1956年だけです。

当時、金日成がソ連など東欧を巡回している間、中国の毛沢東の指示を受けた彭徳懐が北朝鮮党内の崔昌益を指導者とする「延安派」をうち立てて金日成に反対する組織的な陰謀を企むように仕向け、これに「ソ連派」も加わりました。

報告を受けた金日成は訪問を中断して急きょ帰国し、党全員会議を開きましたが、この会議では延安派とソ連派が連合して金日成を倒そうとしました。しかし、軍隊を掌握していたパルチサン派によって粛清されました(8月宗派事件)。

中国派とソ連派を粛清したことで中国とソ連から経済支援を受けられなかった金日成は自力更正を叫びながら千里馬運動を掲げて難局をなんとか乗り切りました。

こうした点が今の北朝鮮の状況と類似しているのであれば、北朝鮮内部の事情は考えているより厳しいということになります。

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